3月は冬の終わり、という印象がある。寂しくなってくる。夏休みの終わりにセミの鳴き声を聞いているようだ。冬に生まれ、冬が好きで、冬は自分の季節だという思い込みが昔からある。冬が始まると風にチョコレートの香りが少しして、ああ始まったなと分かる。雪の日に生まれ、雪が好きで、雪に囲まれ雪が積もる音しかない夜の世界には、月の香りがゆらりと漂ってくるようだ。
ただそれは春夏秋冬あればこそなのだけれど。
石巻に来てから、3月の始まりにまた少し意味が加わった。まもなく3月11日になる。自分がこのまま歳をとっていっても、もう何年になるとか、3月が来ると思い出すとかにはならないみたいだ。3月を生きる気持ちに既に埋め込まれている芽みたいなものがある。どう芽吹くかは自分にもわからない。それは近い将来、自分の持つ3月の印象を上書きするのだろう。
3月は冬の終わりで、4月は春の始まり、その終わりと始まりの間に、今の自分は何年もずっといるような気がする。悟ったり、約束を破ったり、勘違いしたり、吹っ切れたり、頷いたりしながら、少しずつ次の季節が近づいてきている。仲間を減らしまた増やして、ことさら春を目指しているわけではないが、ただいつかは4月になるのだろう。終わって始まって、しかしそこには幾つもの続きが確かにあるのだ。
応援のしっぽ 代表理事 広部知森