こんばんは、広部です。
震災から4回目の、そして5年目に入った2015年の3月11日。
私は、応援のしっぽの原点である大川小学校へ手を合わせに行き、ゆっくりと1日を過ごしました。
いろんなところでよく聞かれます。
まわりはどう変わっていったのかと。
気持ちはどう変わっていったのかと。
変わらないものなどありません。
街並みも、人の心も。
変わり方もそれぞれ。
一言で表すなら、より過去になった、という事だと思います。
良い事か悪い事かは別として、
ともかく平等に時間は経ちました。
逆に言えば、平等なのは時間だけでした。
今でも後ろ向きに悔やんでいる人がいて、
ただ心が錆びついてしまった人がいて、
そういう人たちに光のある方へ向くように言っても、
眩しいだけでうらやましいとも思わず、
かわいそうだと同情はされたくなく、
しかし、ありふれた話でもあるということ。
過去にしてしまうことが罪だと思ってしまうということ。
そんな人達を多く内包する地域社会では、
きれいであかるい光ではなく、
身近に灯る明かりが必要なのだと思います。
強く濃い影を作らず、目を細めてみることができるほのかな何か。
夢というようなものではなく、希望というようなものでもなく、
安心できるような何か。
4年経ち、何が変わったかと聞かれれば、
自分の居場所を見つけた人が増えた気がします。
前向きでも後ろ向きでも、人は宙ぶらりんでは長くは生きていけません。
役割を得て必要とされ自分で自分を認めることができる。
そこではじめて、誇りを取り戻すことができる。
そんな場所に笑顔は生まれる。
笑顔は、まわりの冷えた心の天秤を揺らしていく。
私はそう思い、そんな居場所を守る手伝いをしたいと思います。
ありふれた話が、とりわけ多いこの土地で。